生きた証。

NZ bench 人生山あり谷あり

こんにちは!みっきおばちゃんのブログにお越しいただき、ありがとうございます。

ニュージーランド在住の我が家は、祖母の死をきっかけによく自然の中を歩きに行くようになりました。

歩きに行くと至る所にベンチがあるのですが、あるベンチに生きること・死ぬことを考えさせられる時が度々あるのです。

本日は、そのベンチに馳せる私の想いです。

故人のベンチに想いを馳せる

ニュージーランドの公園やハイキングコースには、色々な所にベンチが設置されています。

地元の方の手作りベンチ、市役所・自然保護局が設置したベンチ、そして故人を偲ぶために遺族から寄付されたベンチなどがあります。

遺族から寄付されたベンチには、背もたれの所に今はなき方の名前と生没年、遺族からのメッセージが記されていることが多いです。

私はそのベンチに座って景色を眺めながら、会ったこともないその方が一体どんな人生を送ったのか、私とこうして同じ場所を歩き続けたその方は、この同じ景色を見て何を思ったのか、何を考えながらここを歩いていたのかなどを深く考えます。

数ある長いハイキングコースで、この場所に遺族がベンチを設置したということは、きっとその方にとってここがお気に入りの場所だったのかなと、あたかも自分も家族だったかのようにその方に想いを馳せることもあります。

ある時、人気の少ないハイキングコースの急登を登り切った後ぽっと開けた場所に出ると、ぽつんと佇むベンチを見つけました。

そこで休憩しようと近づくと、ベンチに刻まれた故人の名前を読んだ夫が「彼のこと知ってるよ。君は、こんな所にいたのか・・・。」と言って涙ぐみ始めました。

夫はその方と同世代で10代からの知り合いでしたが、5年前に彼は病気でこの世を去ったと地元の新聞で知りました。

その彼とまたこの山奥で再会できるなんて・・・。

そこには、「あなたの周りにある美しさを楽しむ時間と余裕を持ってほしい」とメッセージが記されていました。

彼は、学校の先生をしながらアウトドアも楽しんでいたようです。きっと彼もここによく歩きに来ていたんだなぁ、もっと生きたかったんだろうなぁと思いながら、彼のベンチに座って色々と考えました。

人間が作り出した音は一切聞こえない、そよ風に揺らされた木々の音、鳥のさえずりしか聞こえなかったその場所に癒やされ、私達は「また来るね。今日はありがとう」と言って、その場を後にしました。

私は生前の彼にはお会いしたことはなかったのですが、ベンチを通して、彼と会えた、そんな気持ちがしました。

bench in NZ

ある時、山の頂上へ着くと、いつも見かけないようなベンチが設置されているのに気付きました。しかもお花が飾ってあります。

そのベンチに記載されていた故人の生没年を見ると、私と同じ年に生まれた女性。18歳で亡くなったようでした。彼女が生きていたなら、今40歳。

亡くなった理由が、病気だったのか、事故に巻き込まれたのか、それとも自死だったのか・・・。私と同い年の方のベンチに初めて出会い、思わず言葉を失ってしまいました。

しばらくそこに腰を掛けていたのですが、最終的に頭に浮かんだ思いは「彼女の分まで精一杯生きよう」でした。

人間は生きていると、辛いことも死にたくなることも沢山あります。いつか死ぬほど辛くなったら、また彼女に会いに来ようと心に決め、その場を去りました。

またある時は、家族連れで人気の川沿いを歩いている時にそのベンチに出会いました。

そのベンチは、その川で溺死した7歳の男の子の遺族が寄付したものでした。

「息子と同じ悲劇が二度と起こらないように・・・」と記されてあり、その遺族の悲しみを思うと胸が張り裂けそうになりました。

生きた証

遺族から寄付されたベンチには、それぞれの人の生きた証があります。

その生きた証に、不特定多数の人達が何かを考えさせられ、見ず知らずの方の生前を想い、そして自分達の人生を続けていく。

ベンチを通して、生と死は紙一重で、生きていること・生きられること自体が奇跡だと再び強く心に思うのでありました。

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皆さんは、自分の生きた証をどう残したいですか?

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