こんにちは、みっきおばちゃんのブログにお越しいただき、どうもありがとうございます。
東日本大震災から、12年が経ちました。
被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
本日は、12年前の3月11日に丁度一時帰国をしていた時の記憶です。
クライストチャーチ地震
2011年の2月22日。
日本に一時帰国する一週間前に、クライストチャーチ地震がありました。
私はクライストチャーチから離れたところに住んでいましたが、崩れ落ちた建物の映像がテレビに映し出され、次々と増える犠牲者の人数に本当に辛くて涙が出ました。
その時、ニュージーランドでも、こんなに大きな地震があるのだなと初めて知ります。
悲しい気持ちを引きずりながらも、5ヶ月になる息子を連れて一時帰国をするのは楽しみにしていたので、複雑な気持ちでしたが、私達の帰りを心待ちにしてくれていた日本の家族の元へ会いに行きました。
東日本大震災
日本に戻ってからは、久しぶりに会う家族と楽しい時間を過ごしていました。
3月11日、これから起こることは何も知らず、お昼寝をしていた息子を元夫に見てもらっている間に、私と母は車で10分ぐらいのところにある赤ちゃん用品店へと向かいました。
買いたい物が決まり、レジに向かっていたその時です。
急にガタガタ揺れ始め、どんどん揺れがひどくなっていきました。
私はその瞬間に、クライストチャーチ地震の映像が頭に浮かびました。
建物が崩壊する!
早くこの建物から脱出しないと!
そう思った私は、持っていたカゴを置いて、母と非常階段を使って外に飛び出しました。
外に出ると、建物の前の広場には、近辺から避難してきた人達が大勢集まっていました。
私達はその時携帯電話を持ち合わせておらず、すぐ情報が収集できなかったのですが、集まっていた人達の中で携帯を持っていた方が「巨大地震だ!」と大きな声で言っていたので、建物の中には戻らず、一時間かけて歩いて帰りました。
しかし家に着くと、誰もいない。
寝ていたはずの息子の布団に、上から落ちてきた物が割れて粉々になっていました。
それから1時間後、毛布にくるまれた息子を抱っこして、元夫が家に戻ってきました。
元夫は息子を連れ、近くの広場へ避難していたようでした。
引き裂かれる思いと罪悪感
地震後、日が経つにつれ、ニュージーランドに住む元夫の家族から放射能のニュースが放送されているので、一刻も早く帰ってきなさいと連絡が入ります。
日本では、まだその時、そのニュースはあまりされていませんでした。
元夫も海外のニュースをインターネットでチェックしていたので、早く日本を脱出しようと言い始めます。
私は、私の家族と一分でも長くいたいと思っていましたし、「私達だけ日本脱出って、じゃあ、私の家族はどうなるの?今後また大きな余震があって、ニュージーランドに帰って私達だけ助かっても、日本の家族はどうなるの?」と罪悪感と不安で、心が引き裂かれる思いでした。
でも、そんな時、私の母が、
「みっき。みっきはもうお母さんなんだから、自分の子供を命懸けで守りなさい」と・・・。
母にそう言われ、私は父と母の娘でありながらも、自分は母親であることを忘れてはいけない、もっとしっかりしなきゃと思い、日程を早めてニュージーランドに戻ることを決めました。
ごった返す成田空港
成田空港へ向かう間も余震が絶えず、ずっと恐怖と不安でいっぱいでした。
私達を見送った後に、無事に自分たちが家に辿り着けるのかさえわからない状況でも、私の家族は成田空港まで見送りに来てくれました。
自分たちの安否も保証されていない家族が笑顔で見送ってくれるのは、本当に辛かった・・・。
成田空港は、日本を脱出する人達でごった返していました。どこのカウンターも長蛇の列。
尋常ではない状況。
私達がチェックインカウンターに並んでいると、後ろに、ニュージーランド人の旦那さんと、若い日本人の奥さんが生まれてまだ2週間の赤ちゃんを抱っこしていました。
彼らに話しかけると、奥さんはニュージーランドにはまだ一度も行ったことがないし、赤ん坊もまだパスポートを持っていないけれど、旦那さんのご両親に今すぐニュージーランドに戻って来なさいと言われて、ここまで来たと教えてくれました。
生まれてすぐの赤ん坊を抱え、行ったこともない国へ、そして混乱したあの状況での日本出発とは、本当に大変だったと思います。
今頃、あのご家族はどうしているのかなあ・・・。
私達が搭乗した機内は、もちろん満席で、状況を伝えに来ていたニュージーランドのテレビ局の人達も、同じ便に乗っていました。
こうして、私達は次にいつ会えるかわからない日本の家族に別れを告げ、ニュージーランドに戻ってきます(その後、元夫との離婚で、息子を連れて5年間日本に帰ることができませんでした)。
安堵
丸一日かけてニュージーランドに戻ってきた私はホッとして、息子とベッドで何時間も眠り続けました。
機内でも空港の待ち時間でも、5ヶ月の息子は、一回もぐずることなく静かにしてくれました。
本当に有難かったです。
ニュージーランドに戻ってきて、日本の家族のことが心配でしたが、彼らの生活も少しずついつもの日常に戻ってきていたようで、こちらもホッとしました。
別れ
後に、震災で離れ離れになった国際カップルが沢山いたと聞きました。
自分たちの国に帰ったパートナー、日本に留まることを決めた日本人、あの時、色々な別れがあったのだと思います。
私は、震災の4ヶ月後に、元夫の家から飛び出しました。
彼と別れた理由は他にも沢山ありましたが、今振り返ると、震災の時に、私の日本の家族を思いやる心が元夫には少し欠けていたかなと思います。それが、ずっと心に引っかかっていました。
ブログを書きながら、封印されていた過去の記憶が次々と蘇りますね。
自分の過去と気持ちを整理しているような感じです。
最後に
今も尚、大勢の方が避難生活を送っていると知りました。
そして、大切な人を失った悲しみと心の傷は、時が経っても一生癒えることはありません。
被災者の方が、これまで乗り越え得てきた困難や辛さは計り知れません。
それでも、復興のために、今日まで大勢の方々が力を合わせて頑張ってきたのだと思うと、遠い異国の地にいる私も、毎日ここにこうして生きていることに感謝の気持ちでいっぱいです・・・。
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