こんにちは!みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
本日は、ちょっと前にニュージーランドの小さな港町に家族と冒険の旅へ出かけた時の話です。
その町に日本の方が住んでいるのか、コロナ禍前に日本の方が観光で来ていたのかは分からないのですが、今まで一度も日本の方にお会いしたことがありません。
そこで岬を目指し歩き続けた後、私達は不思議な出会いと奇跡としか思えない体験をしました。
始まりは霧だった
その港町に着いた朝、辺り一帯は霧に覆われ何も見えなかった。
晴れていたら、海と陸が織りなす入り江と、太陽の光に反射された海がキラキラと光る絶景の名所だったが、私達がそのハイキングコースのスタート地点に到着した時、乗っている飛行機が雲の中へ突入したように周りは真っ白だった。

車の中で携帯の天気予報とにらめっこしながら、晴れろ晴れろと念じ、しばらく待っていた。
すると、嘘のようにお日様が顔を出し、霧が消え始めたので、私達は冒険の旅をスタートさせた。
歩き始めてすぐの所にベンチがあり、晴れ渡ってきた絶景を眺めながら少し休憩をすることにした。
そのベンチは、先日の記事「生きた証」で書いたように遺族から寄付されたもので、そこに記された故人の生没年を見て、とても悲しい気持ちでいっぱいになった。
2歳と17歳という本当に短い命を失ったご遺族から「天国で幸せでありますように」と書かれていたからだ。
私はここでもまた命の尊さについて考えさせられた。

そこからの登山道が、一週間降り続いた雨で滑りやすく、ツルツル滑ったので、トレッキングポールを持ちながらのハイキングは、まるでスキーをしているような気分だった。
すれ違うハイカーのみなさんが、転ばないようにと、つま先で抜き足差し足忍び足の同じ態勢で歩いている姿に、自分も含めて、くすっと笑ってしまった。
そのおかげで私は滑らずにすんだが、夫は、最後の最後で、気を緩めた瞬間にすってんころりズッコケ、尻もちをついた。
彼の叫び声だけが空しく響き渡ったので、更に爆笑してしまった(笑うなよ!)。
一応、泥だらけになった夫のお尻と手を拭いてあげた(優しい所もアピール、笑)。
そんなこんなで予想以上に時間がかかってしまったが、やっと岬に到着すると、想像していた所とは違い、綺麗に整備された芝生にピクニックテーブルが置いてあったので、私達はそこに腰掛けてお昼を食べることにした。
岬からの景色。

私は、どんな高級レストランで美味しいものを食べるよりも、頑張って辿り着いた絶景スポットで食べるジャパニーズソウルフードのおにぎりか、シンプルなサンドイッチを食べる方が何百倍も美味しいと感じる。
そして一緒に食べる人が、大好きで大切な人だと尚更美味しく感じられる。
ご飯を食べ終わり、この景色にみとれていると、何だか後ろから人の気配を感じた。
でも後ろを振り返っても、誰もいない。
また景色を見ようと前を向くと、やっぱりまた背後から誰かに見られているような気がした。
もう一度振り返って、森の茂みに目を凝らして見てみると、そこに墓石のようなものがあるのに気付いた。
しかも漢字で「供養塔」と書かれていたので、思わずダッシュで近寄ってよく見てみると、そこには日本の方の2名の名前と生没年、この周辺でダイビング途中に亡くなったと書かれてあった。
言葉に言い表せないほど、ショックだった。
まさかこんな所で、日本の方が水難事故で亡くなっていたなんて・・・。彼らは、20代という若さでこの世から去ってしまったよう。
約30年前、観光でこの小さな港町に来ていたのだろうか?
きっと日本を出発した時は、ワクワクと興奮でいっぱいだったのだろうな・・・。
まだこれからの未来に、希望だらけだったのだろうな・・・。
そう思うと、苦しくてしょうがなかった。
そして異国の地で命を失った方のご遺族のことを考えると、もっと苦しかった。
私はもう一度、絶壁に戻り、彼らが命を落としたその海を眺めることにした。

しばらくの間、呆然とその透き通る海を眺めていると、左下の方から黒くて長いものが流れてきた。
最初は流木かなと思って見ていたのだが、微妙に動いている。
やっ、やばい。
とっさに私は、なにか見てはいけないものを見てしまったような気がして、一瞬目をそらしたが、またその物体に目を向けた。
その黒くて長いものの正体は、ぷかぷかと気持ちよさそうに浮いていたアザラシだった。
そうすると今度は、もう一頭もスイスイと泳いで出てきた。
そのうち、その2頭は私達の前をくるくる回ったり、ヒレを上げて、楽しそうに泳ぎ始めた。

私には、その2頭が約30年前に、ここで命を落とした日本人ダイバーお二人の生まれ変わりだとしか思えなかった。
そうだとしたら、こんな所に日本人がめったに来ることはないので、きっと日本人が会いに来てくれたと喜んでくれていたのかな・・・。
ここまでダイビングをされに来たのだから、おそらく海をこよなく愛する方達だったのだろう。
彼ら達は、新しい命としてニュージーランドの海で、愛した海と共に生きているのだ。
日本は遠く離れているけど、ニュージーランドと日本は一つの海で繋がっている。
こうやって彼らがここにこうやって生きていることを、ご遺族の方に伝えたかった。
またいつか彼らに会いにこよう。
そして今度は、日本のお菓子を持ってお供えしよう。
そう思いながら私達はその場を去り、次の冒険の旅へと出発したのでありました。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。