かつて憎しみ合った元姑元嫁の今

人生山あり谷あり

こんにちは!みっきおばちゃんのブログにお越しいただき、ありがとうございます。

私は、元夫と結婚する前から元義母のことで悩んでいました。(「元」ばっかりでゴメンナサイ)

それを相談していた友人に「彼と結婚するってことは、彼のお母さんと結婚するのと変わらないよ。それでもいいの?」と言われ、「そんな大げさな〜。大丈夫だよ。」と答えたのを今でも鮮明に覚えています。

それから元夫との結婚生活の中で、特に息子が生まれてから友人が言ったその言葉を何度も何度も思い出しました。全然大丈夫じゃなかったな・・・。あの時もっと重く受け止めていればよかったなと後悔しましたが時すでに遅し。

本日は、かつて憎しみ合った元姑と元嫁の今を描いたエッセイです。

息子がいたから・・・

11年前に離婚した元夫の母親と私は、全く性格が合わなかった。

元夫以上に、価値観や考え方も何もかも違った。

正直言って、嫌いだった。

きっと元義母も、離婚という形で彼女の大事な息子の人生をめちゃくちゃにしてしまった元嫁の私を、心底憎んでいたに違いない。

離婚後、元義父母とは一切連絡を取らず、元夫や共同親権で育てている息子を通して、お互いの様子を聞くだけだったが、数年前から息子の習い事を見に来てくれた元義父母と度々会うようになり、そこから状況が変わっていった。

最初は、とても気まずい雰囲気が流れていてお互い何を話せばいいのかわからず、足元を見たり、遠い方を見たり、なるべく目を合わせないようにしていた。それが徐々に、近況や私の日本の家族の話をするようになり、沈黙の時間も少なくなっていった。

コロナが始まり、年に一回、日本に一時帰国をしていた私達が帰れなくなってからロックダウンが終わると、元義母は私達を夕食や家族のパーティーに招いてくれた。

人一倍家族思いの元義母は、日本の家族に会えない私の寂しさや辛さを十二分、理解してくれたのだと思う。彼女の心遣いが本当に嬉しかったし、有難かった。

それから彼女との仲が急速に縮まり始めた。

携帯の番号を交換してからメールやビデオ通話で連絡したり、息子の写真を送ったり、彼女の庭で収穫できた野菜や果物もいただくようになった。

自然の中を歩くことが好きな彼女とは、トレッキングの話でいつも盛り上がり、話し出すと会話が尽きず、冗談が言える仲にもなった。

昔とは違い、元義母が私を息子の嫁として、私の全てをジャッジすることもなくなったし、当然のことだが、私を自慢できる息子の嫁に変えようとする気持ちがなくなったので、元義母の顔色をうかがいNOと言えなかった私もいなくなった。

嫁姑が元嫁元姑になったことでワンクッションを置き、自分が思っていることをはっきり伝えることができるようになった。

先日、元夫から元義父母の具合が悪いという知らせを聞き、私に何かできることはないかと考えていると、あることを思い出した。元義父母が昔、海外旅行に出かけた時に具合が悪くなり、現地で味噌汁を探し求めたという話だ。

ニュージーランド人の元義父母がなぜ味噌汁?、もっとニュージーランド人らしい食べ物が恋しくならないのかと思ったのだが、ジャパニーズソウルフードのミソスープは世界共通で弱っている人の身体を癒やすものだと一人勝手に感動した。

なので、これは味噌汁しかないと思った私は、元義母にメールでミソスープ食べる?と聞いたところ、即答で食べたいと返事があったので、土砂降りの午後、味噌汁を作ることにした。

味噌汁だけで栄養が摂れるようにと、豆腐や野菜を沢山入れ、トッピングとしてゆで卵も作った。彼らが早く快復するようにと、愛情もたっぷりぶち込んでおいた(笑)。

息子との手作りお見舞いカードと共に味噌汁を届けた夜、元義母から「あなたのミソスープで元気になれた。親切にしてくれてありがとう」とメールがあった。

ちょっと元気になったみたいで、その時は本当にホッとしたし、やっと元義父母のために元嫁が何か役に立つことができて、嬉しかった。その後、二人とも大事に至らず快復した。

息子が成長するにつれて、残された時間をいがみ合うよりも、お互いもっと大切なことを見つけたような、そんな気持ちだ。

気付けばかつて憎しみ合った元姑と元嫁は11年後、お互いの心身の平和と健康のために助け合う仲になっていた。あの時、誰が今を想像できただろう。

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