こんにちは!みっきおばちゃんのブログにお越しいただき、ありがとうございます。
私は精神的に辛い時、いつも空を見上げます。
そこに、私のおばあちゃんとおじいちゃんがいるような気がするからです。
私の祖母は、一年半前に息を引き取りました。(祖父は、私が生まれる前に亡くなっています。)
祖母の死をきっかけに、私は自分の最期に「楽しかった!」と思えるような人生を送りたいと強く思い始めます。
それが、このブログを立ち上げる原点となりました。
本日は、そのお話を皆さんと共有させて下さい。
祖母との最後の言葉
祖母が病院に入院中、母は毎日病院に通っていました。
その時いつもビデオ通話で祖母に会えることができましたが、祖母は目が見えなかったので、話しかけたり、祖母が大好き歌を聴かせてあげたり、歌を歌っていました。
日に日に衰弱していく祖母、側でずっと看病している母、一時帰国が難しく日本に帰ってサポートができない自分に不甲斐ない気持ちでいっぱいで、電話を切るといつも涙が溢れ出ていました。
ある日、祖母が「みっき、もうだめかもしれない。こんなはずじゃなかった・・・」と弱々しい声で言うのです。
私は、何と言葉を返していいのか言葉に詰まったのですが、「大丈夫だよ。また(天国で)会えるから待っててね。」と言葉を返しました。
それが、祖母と交わした最後の言葉となりました。
あの日
祖母は、歌を歌うのが好きでよく歌っていました。私が小さい頃、祖母は音楽の先生なんだとずっと思っていました。
お盆休みやお正月に祖母に会いにいくと、祖母のお布団で一緒に寝るのが楽しみでしょうがなかったことを覚えていてます。
祖母は、私に子守唄をよく歌ってくれました。彼女の子守唄を聞いていると、私は安心しすぐ眠りにつきました。
そして、あの日がやってきました。
あの日のお昼過ぎ、母から祖母が危篤状態に入ったと知らせが入りました。
母は病院に直行し、病院からビデオ通話を通して祖母の状況を伝えてくれます。
父も嫌な予感がしていたようで、仕事を早めに切り上げ、病院にかけつけてきたくれたところでした。
もう意識はなくても、まだ耳だけは聞こえていると病院の先生から告げられ、私達は祖母の好きな歌をかけたりして、祖母を見守っていました。
祖母の好きな歌をかけていない時は、私が歌を歌いました。
なぜあの時私は、あの歌を歌ったのか自分でもよくわからないのですが、私は突然「およげたいやきくん」の歌を歌い始めるのです。
すると、突然、目をつぶり口を閉じていた祖母の目と口が開いてきました。
私達は、「わあー!おばあちゃんが、生き返ってきたー!」と驚いていたのですが、またすぐ彼女の目と口は閉じました。
そして、その時がやってきました。

祖母は、日本に住む姉家族と私達夫婦(息子は父親のところに行っていました。私は、共同親権で息子を育てています)、母と父に見守られながら息を引き取りました。
心安らかに
息を引き取った後、祖母はお化粧をしてもらい、綺麗になってまた私達の前に現れました。その表情はとても穏やかでした。
病気と闘っていた祖母は、痛みがなくなり、もう闘わなくていいと思ってホッとしたのでしょう。
祖母のお葬式は、日本各地に住む家族と親族、ニュージーランドに住む私達家族の間で、オンラインで行われました。
お坊さんが唱えるお経を聞きながら、その時、私には白装束を着た祖母が、画面の上の方で踊っている姿が見えました。
私は「あ、おばあちゃんはこうやって、皆に見守られながら天国へ旅立っていけることに喜んでいるんだな」と思いました。
それから、一回忌を迎え、その間、祖母は母のところに一度も姿を現さなかったようです。それどころか、母の夢にはいつも笑顔いっぱいの祖母が出てきたようです。
私はそれを聞いて、本当に安心しました。
きっと、今頃、祖母は長い間会えなかった祖父と再会して、彼らが愛した故郷の海辺を一緒に歩いているのでしょう。
祖母の死から学んだこと
私にとって、人間が息を引き取る瞬間に立ち会ったのは祖母の死が初めてでした。
人の命は有限だということを再認識させられた瞬間です。
そして、人は何のために生まれてきたのか、また何のために生きているのかということを考えるきっかけとなりました。
それを考えた時、一度の人生、限られた時間の中で、余計なエネルギーと時間を費やしてまで、自分と合わない人と付き合うのはもうやめよう、抱えなくてもいいストレスを抱えながら生きるのはもうやめよう、自分が自分らしく生きたい、自分に正直に生きたいと強く思いました。
そこで、私のブログのモットーでもある「無理せず楽しく生きる」が生まれます。
おばあちゃん、また天国で会いましょう
祖母は、生前、沢山の人達を助けてきました。
今度は、私の番です。
私のブログを通して、助けが必要な方の役に立ちたい、一人でも多くの方に無駄なストレスを抱えず毎日を楽しく過ごしてもらいたい、そう思っています。
そう考えるようになったきっかけは、おばあちゃんです。
おばあちゃん、ありがとう。
おばあちゃん、また天国で会いましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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