これが最後かもしれない。「絶対に安全」はない。

pink flower 人生山あり谷あり

こんにちは!みっきおばちゃんのブログにお越しいただき、ありがとうございます。

昔、家族が通勤に使っていた地下鉄でサリン事件がありました。それから、私も毎日通学に使っていた電車内で数年前に無差別殺傷事件が起こりました。

他にも色々なことが起きてきましたが、他者への歪んだ不満・恨み・憎しみ・自暴自棄・被害者妄想で、他者に暴力で危害を与える犯罪のニュースが日本から毎日のように飛び込んでくるのをみていて、「絶対に安全」という考えはいつしかなくなっていました。

私が日本のニュースを毎朝必ずチェックしているのは、大地震がなかったのか、それに加え、無差別テロに大事な人達が巻き込まれていないのかの安否確認のためです。

大袈裟な感じもしますが、今の時代は世界のどこにいても「絶対に安全」がなくなり、今後は終わりの見えないコロナや戦争・異常気象などの影響で、世界中の物価高騰や食糧不足、経済悪化に伴い、格差が広がり、治安も悪くなり犯罪も増えていくのだと思っています。

テクノロジーが発達し、便利で豊かな社会になってきている一方、次々と流れ出てくる情報に翻弄され、一喜一憂、混乱した社会にもなってきている気がします。

生と死は紙一重

今、この瞬間に世界のどこかで、病気、事故、戦争、テロ、いじめ、人種差別、家庭内暴力、自然災害などで誰かの命が一瞬でなくなっています。

なので、最近、本当に生と死は紙一重だなとつくづく感じでいます。

ニュースや身近な人に起こった不幸な話を聞く度に、これは自分や家族にも起こり得ることだなっていつも思います。

そういう風に思い始めてから、こうやってこの人と直接会えるのは「これが最後かもしれない」と思いながら、自分の大切な人達と日々別れを繰り返すようになりました。

生きている事自体が奇跡

自分がこれまでに死を身近に感じた経験は、大震災、怪我、病気、自分が乗っていた飛行機が墜落寸前だったこと、DV、人種差別、無差別殺人、身近な人達の突然の死など。

こういう経験を繰り返していくうちに、生きている事自体、奇跡なんだなと思うようになりました。

生きられるってのは、当たり前じゃないんだなぁ・・・。

朝、行ってらっしゃいと見送った家族はもう帰ってこないかもしれない。

またねと言って別れた友人とは、もう一生会えないかもしれない。

なので、私は大切な人と「またね」と別れを告げる時、いつも「これが最後かもしれない」と覚悟を決めます。

日本を出発する時は、日本の家族に直接会えるのはこれが最後かもしれないと覚悟を決め、

朝、息子を学校に送る時は、いつも力いっぱい彼を抱きしめ「学校楽しんできてね。そして気をつけて帰ってきてね。」と声をかけ、

夫を仕事へ見送る時も、「運転には気をつけてね。」と言って、力いっぱいハグします。

限られた時間

後で自分が後悔しないためにも、大切な人との別れ際に「これが最後かもしれない」と頭の片隅に思っていると、これから別れ際の接し方が自然と変わります。

これまた大袈裟かもしれませんが、私は大事な息子を共同親権で育てていて、そう覚悟を決め、息子を(危機管理の意識が全く違う)元夫のところに送り出さないと、実のところやっていけないんですよね。(ニュージーランドでは、離婚すると何らかの事情(虐待など)がない限り、法律で共同親権制度が定められています。)

何があるかわからないこの時代、いのちの限られた時間を意識するようになると、生きることに対しての考え方が自分の中で変わってきたなと思います。

これが最後かもしれない。「絶対に安全」はない。

家族間にも、社会にも、国家間にも暴力のない平和な世界を望むばかりのみっきおばちゃんです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

↓ブログランキングに参加しています。応援クリックいただけると、たいへん嬉しいです!ありがとうございます♡

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村