人間界のドロドロに疲れたとき、心が欲するもの

when you are tired NZ自然

こんにちは!みっきおばちゃんのブログにお越しいただき、ありがとうございます。

生きていると、疲れることが多々あります。よね?

何でこんなに疲れているのかと心の奥を探ってみると、自分と誰かと誰かさんとの人間関係だったり。

ニュースを観ては読んでは、誰かが誰かを傷付けているものばかり。

犯罪、誹謗中傷、ネットでは炎上騒ぎばかり。「誰々叩き」というのもよく見かけます。

「表現の自由」の意味をはき違えている社会。人を攻撃して、傷付けて、虐めて、何が楽しいのだろうか。

お金持ちでも貧乏でも関係ない

インターネットとSNSが世界中に普及して、テクノロジーが進化している一方、更に人間社会は複雑になり、心病んでいる人が急増中。

お金持ちだって、貧乏だって、そんなの関係ない。病む人は病みます。

山奥にでも一人で住んで人間界と完全に絶縁し、外界からのすべての情報をシャットアウトして生きていない限り、人間界のゴチャゴチャやドロドロに疲れて、苦しんで、また這い上がるの繰り返しが人生というもの。

電気が通っていないアマゾンの奥地に住んでいる人たちだって、人間関係に疲れてます。

「前向きに生きろ」、「物事をポジティブに考えろ」と言われたって、そうできない時もある。

その人の考え方や物事の捉え方次第なのだから、良くも悪くも自分次第だとわかっているけれど、前向きに捉えたくっても、捉えられない時がある。

本当の心の痛み、辛さはその人でないとわからない。実際に経験してみないと、わからない。

だけど、経験していない周りの人はあーだこーだとテキトーなことをアドバイスしてくれる。

彼らなりの気遣いと優しさなんだろうけど、余計に疲れる。

ちょっと心の充電がしたい。

人間界のドロドロに疲れたと思う時、私は無意識に身体が、心が、自然を求めます。

自然界の癒し

祖母の息を引き取る瞬間に立ち会い(ビデオ通話でしたが)、生きてるって何だろう?私が生まれてきた意味は何なんだろう?とか、生きている価値とか生と死とかを哲学者のように深く考え込んでしまった私。

考えて、考えまくって、考え過ぎて、あれ?

答えが出ない!

そうか、答えが出ないってことは、その問いの答えを探すことが生きること。

生きるとは人生とは最後の最期まで自分探しの旅なんだ・・・。

そうだ、そうだ。人生それで、いいんだ。えいえいおー。

心が疲れた時、私は人間界から離れたくって、自然界に身を持っていきます。

自然は何も言わない。言わないからこそ、生き抜く力を自分で考えなければならない。

一歩外に出て、自然の世界に辿り着くと、健気に咲いている花々がある。

雨の日も風の日も真っ直ぐ生きてきた木々がある。

今にも羽ばたきそうな蝶が芝生や花の上で一休みしている。

自然界が生み出す色やアートにハッと心奪われる。

澄み切った空気を胸いっぱい吸って、土の匂いをかいで、人間界が生み出せない自然に身を置くと、ずっと忘れていたもの、見失っていた感覚がどんどん戻ってくる。

小さかった時のあのワクワクした気持ち、ただただ楽しかったあの時の気持ち、未来に何の心配もなかったあの時の気持ちが蘇ってくる。

コンクリートではなく、根っこむき出しの道を歩く。

自然の中を歩けば歩くほど、大地からどんどんエネルギーが身体に入ってきて、心が充電される。

壮大な自然の前に、自分の悩みがちっぽけに思え、色々とどーでもよくなってくる。

凄いな、自然の力って!

私の生きる源ここにあり。

自分が元気になれる方法を知っていると、人間は強くなれる。

「そうだ京都、行こう」じゃなくて「そうだ自然、行こう」でいいんじゃない、私の場合(笑)。

また人間界のドロドロに疲れた時、自然の中に戻ってこよう。

私の自分探しの旅は、まだまだ始まったばかりです。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

色々疲れた時は、ちょっと休憩です。

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