人種差別、暴力、シングルマザーでも、ニュージーランドで生きて死ぬ

NZライフ

過去の記事「体験談・海外在住者が受けてきた人種差別」では、私がこの18年間、ニュージーランドで経験した人種差別ワースト6を書かせていただいた。

場合によっては、大怪我になっていたかもしれないし、死んでいたかもしれないような人種差別もあった。

日本に住んでいたら、このような経験はしなかっただろう。

暴力。

ニュージーランド人の元夫は、短気でキレやすく、人前ではニコニコ笑顔でフレンドリーだったが、家の中で気に入らないことがあると、人が変わった。

精神的、言葉の暴力は日常茶飯事のことで(手を出されたこともあった)、機嫌が悪くなると、Fワードや卑猥な罵り言葉で私を罵倒した。

彼は高学歴で専門職に就いており、社会的地位を確立した男。

彼の友人らも人種差別的な人ばかりで、アジア人というだけで私は見下され相手にもされなかった。

私を人間として接してくれた人は、ほんの一握り。

11年続いた彼との時間にピリオドを打ったのは、息子が9ヶ月の時。

まだ赤ん坊の息子と、朝仕事に行く元夫をいつものように送り出した後、家を出た。

この時から私はシングルマザーとして、この異国の地・ニュージーランドで生きていこうと決意。

ニュージーランドでは、共同親権制度が採られているのも知らずに、元夫と別居を開始した。

自分が生まれた国で、家族や友人達にガッチリ守られ高収入な現地人元夫、それに対し、家族もいない、英語も中途半端、親米ママで低収入の異国人の私。

どう考えてもこの国で、私に勝ち目はなかったのだが、私はこの国に留まり元夫と戦う方を選んだ。

実際、日本に住む家族や親戚からは「早く日本に帰ってこい」と言われたが、私は帰らなかった。

当時ハーグ条約に加盟していなかった日本に息子を連れてすぐ帰国していれば、今頃どうなっていたのかわからない。

元夫の所に一向に戻らない私、事の重大さに気付いた元夫は、慌てて裁判所に私が息子を国外に連れて行かないようにするための命令書を申請。

それは家を出てから3週間後のこと。

別居先で、防弾チョッキと拳銃を持ったマッチョ警官に、その命令書を手渡された。

まるで犯罪者のような扱いだった。

さっと私のこれまでの経緯を書かせていただいたが、モラハラ元夫との結婚前も結婚後も出産後もいつでも日本に帰ろうと思えば帰れた。

でも、私は、大好きな日本の家族と離れてでも、この地で生きていくと決めた。

そして、この地に自分の遺灰をまいてもらうことも決めた。

なぜ?

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長くなりそうなので、理由は次回に書きたいと思います。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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